NHK番組バリバラによる西村齊を題材にした放送法4条違反及び放送倫理基本綱領違反の偏向番組に対する訴訟の報告。NHKから訴状に対する反論書が届いた。NHKの反論を解りやすく言ふと、「放送法4条は法的効力もなく、罰則もないから遵守しなくても良い」と言ふ反論でした。

今現在、徳永弁護士に依頼してる韓国人テロリスト尹奉吉碑撤去に向けての裁判準備(まづは監査請求)してますが新たに二件の裁判を提起する事になりました。

一つはNHK番組バリバラによる西村齊を題材にした放送法4条違反及び放送倫理基本綱領違反の偏向番組に対しての訴訟です。

もう一つは表現の不自由展神戸で昭和天皇様の御真影に対する不敬展示物を憲法や兵庫県の条例や規則に違反して展示を許可した兵庫県に対しての訴訟です。

あとオマケで有田ヨシフの弟から侮辱を受けたので刑事告訴しました。

地味な司法闘争活動ですが継続は力なりで必ず後々の公益になると確信してゐます。

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☯本文

NHK番組バリバラによる西村齊を題材にした放送法4条違反及び放送倫理基本綱領違反の偏向番組に対しての訴訟の報告です。

NHKから訴状に対する反論書が届きました。

NHKの反論を簡単に解りやすく言ふと、「放送法4条は判例でも判示されてゐる通り、法的効力もなく、罰則もないから遵守しなくても良い」と言ふ驚きの反論でした。

但し、前記の判例も社会通念上、可笑しな判例だが、判決内容には「偏向放送をされないことを個人の権利又は法律上保護される利益として保証するものではないが、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自律的判断にゆだねられてゐる」とある。

よって、本件偏向番組は下記の反論書(原告第1準備書面)で述べた通り、公共の福祉に反してゐるから前記の判例には当てはまらない。

☯西村齊の反論書(原告第1準備書面)

令和5年(ワ)第566号 損害賠償請求事件

原告 西村斉

被告 日本放送協会

令和5年6月9日

京都地方裁判所第2民事部合議B係 御中

原告 西村 斉

原告第一準備書面 

(被告の答弁書に対して)

第1

一 被告答弁書の第3の「被告の主張」2「放送法第4条第1項違反の主張について」では、「放送法第4条第1項各号の規定については、法的効力のない倫理的意味の規定と解する見解が通説とされ、放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自律的判断にゆだねられている。したがって、放送法第4条第1項各号は、偏向放送をされないことを個人の権利又は法律上保護される利益として保証するものではない。」と主張されてますが、まづ、「放送法第4条第1項各号の規定については、法的効力のない倫理的意味の規定と解する見解が通説とされる」といふ主張についてですが、倫理的とは、人間生活の秩序や人間の実践すべき道義の規則や規準の意味合ひであり、よって本件の発端は京都朝鮮学校と京都市らとの共謀による公園不法占拠であるので、法的効力云々以前の問題であり、社会通念上に於ても公園不法占拠は当然に倫理にも反するので、本件は被告が最高裁判例を示し主張する通説に当てはまらないのは明白である。

また、「放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自律的判断にゆだねられている。」といふ主張についてですが、まづ、番組の編集については、放送法第4条に定められた第1項各号に定めるところによらなければならないと規定されてをり、この条文を本件に照らすと、訴状で述べましたので詳細は繰り返しませんが、本件番組は放送法第4条第1項第2号、4号に違反してゐるのは明白である。

またまた、表現の自由は無制限に許されるものではないと(最高裁判所第二小法廷・平成20年4月11日判決)最高裁でも判示されてゐる通り、表現の自由も公共の福祉に反しない限り保護されるものである。

公共の福祉とは、一般的には社会全体の幸福と利益の事であり、他者への権利侵害等に当たる場合は、表現の自由の濫用となり、憲法12条でも自由権の制限が明記されてゐる。

これを本件に照らすと、本件の発端である京都朝鮮学校と京都市らの共謀による公園不法占拠は明らかに公園近隣の地域住民や京都市民は勿論の事、社会全体の幸福と利益を侵害したのは明白であり、また公園近隣の地域住民や京都市民が公園を何時でも利用できる権利を侵害されたのであるから、被告の本件偏向放送は公共の福祉に違反してゐるので、本件は被告が最高裁判例を示し主張する「放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自律的判断にゆだねられている。」といふ判例には当てはまらないのは明白である。

そして自律的判断とは、自らの律の事であり、律とは規範やルールの事です。

これを本件に照らすと、本件の発端である京都朝鮮学校と京都市らの共謀による公園不法占拠は都市公園法違反で京都朝鮮学校校長が罰金刑を受けた事からも明らかに規範やルールに違反してます。

よって、被告の本件偏向番組は健全な自律的判断から逸脱してゐるので、本件は被告が最高裁判例を示し主張する「放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自律的判断にゆだねられている。」といふ判例には当てはまらないのは明白である。

二 被告答弁書の第3の「被告の主張」2「放送法第4条第1項違反の主張について」では、「放送法第4条第1項各号は、偏向報道をされないことを個人の権利又は法律上保護される利益として保障するものではない。また、原告が主張するような、放送法の規定に従った番組の提供を受ける権利、期待権ないし利益が個人の法的に保護される利益であるとはいえない」と主張されてますが、原告による本件の発端である京都朝鮮学校と京都市らの共謀による公園不法占拠解決行動は、私事で実行したのではなく、個人の立場や利益を超えた社会全体の利益や公共の福祉の為に実行したものである。

よって原告が本裁判を提起した趣旨は、被告が国民の「知る権利」を侵害したからでもある。

知る権利は憲法には明文の規定はないが、憲法21条の表現の自由の中に含まれてゐると解釈されてゐる。

(知る権利・第156回国会・平成15年5月15日・参考人は堀部政男中央大学教授)

確かに被告には報道の自由がある。

しかし報道の自由の意義は、公共放送局として国民に事実を知らせる事であるから、事実と程遠い本件偏向放送は表現の自由の中に含まれてゐる報道の自由で保護される道理はないので、国民やNHK視聴者の事実を知る権利を侵害したのは明白である。

(芦部信喜・高橋和之補訂「憲法」第三版166-167頁)

三 被告答弁書の第3の「被告の主張」2「放送法第4条第1項違反の主張について」では、「放送法1条は放送の効用の保障、放送による表現の自由の確保等の原則に従い、放送を公共の福祉に適合するように規律しその健全な発達を図ることを目的としているところ、同法3条は、放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがないとし、放送番組編集の自由を規定しているから、別に法律で定める権限に基づく場合でなければ、放送番組編集への関与は許されない。」と主張されてますが、確かに放送法3条には放送番組編集の自由が規定されてるが、同法4条には明確に番組の編集については放送法4条に定められた第1項各号に定めるところによらなければならないと規定されてをり、この条文を本件に照らすと、訴状で述べましたので詳細は繰り返しませんが、本件偏向番組は放送法第4条第1項第2号、4号に違反してゐるのは明白である。

そして、表現の自由や公共の福祉に関する主張は本準備書面一で述べたので繰り返さないが、前記の「放送法1条は放送の効用の保障、放送による表現の自由の確保等の原則に従い、放送を公共の福祉に適合するように規律しその健全な発達を図ることを目的としている」といふ文言の中の「健全」を本件に照らすと、「偏らず、確実で、間違ひのない確実な放送」の意味であるので、訴状や本準備書面で述べた通り、被告による本件番組は、公共の福祉に反してゐるので表現の自由の濫用になり、偏った、不確かな間違ひだらけの偏向番組である。

四 被告答弁書の第3の「被告の主張」3「名誉毀損等の主張について」では、「本件番組は原告個人を特定できるものではなく、原告の名誉権等を侵害していない。本件番組中の映像には、モザイク処理が施されており、当該映像から顔を識別することは不可能である。また、氏名・名称も一切表示されていない。したがって、本件番組から原告個人を特定することは出来ないから、本件番組は原告の社会的評価を低下させる事実を摘示していない。よって、本件番組は、原告の名誉権を侵害するものでないことは明らかである。」といふ主張ですが、原告による本件抗議活動は国連でも話題にされ、また、頻繁にテレビのトップニュース等で報道された抗議活動でもあり、更に本件抗議活動は、平成30年4月24日付・毎日新聞朝刊に於て、本件抗議活動と厳密に関連する別案件の抗議活動を記事にした際にも、一面トップ記事で紹介されるほどの社会的関心度の高い抗議活動でもあるので、モザイク処理が施されてようが、氏名が表示されてなくても、映像に映し出されてゐる人物が原告であると特定する視聴者は少なからず存在する事は明白である。

それより原告が問題にしてゐるのは、番組で自身の顔や氏名が公表されるのが云々といふ、どうでもよい些細な事ではなく、原告の人格権の一つである名誉権侵害の問題である。

名誉権と言っても、前記で述べた通り、番組で自身の顔や氏名が公表されるのが云々といふ事等ではない。

要は本件番組では、本件問題の発端である京都朝鮮学校と京都市らの共謀による公園不法占拠の事実が一切放送されてなく、また不法占拠が原因で朝鮮学校校長が都市公園法違反で罰金刑を受けた事実も放送されてない。

これでは、朝鮮学校に忖度する本件番組の思惑の通りに、原告が単に差別目的で朝鮮学校を襲撃したのだと、多くの視聴者に誤解されるのは明白である。

よって、原告の社会的評価が低下したのは明白である。

そして朝鮮学校関係者や学校を支援する者は、「西村斉は差別を楽しんでる」と主張するが、ハッキリ言って、「死ぬ事、大病になる事」と同じ位に辛いとされてゐる刑務所にまで行って差別を楽しむ者など、この世に存在しない。

(実際、本件抗議活動が原因で原告は服役してゐる。)

よって原告は差別を楽しむ為でなく、公と義の為に抗議活動を実行しただけの事である。

よって本件偏向番組は、放送法第4条第1項2号、4号違反及び、訴状にも記載した放送倫理基本綱領違反により、原告の信用や名誉が侵害されてゐるので、当然に、加害者である被告は原告に対する民法709条の不法行為が成立し、民法710条の損害賠償責任を負ふものである。

☯今までの経緯

NHK番組バリバラが放送法4条や放送倫理に違反して西村齊を題材にした偏向番組を放送した件について、解決に向けてNHK本体や所管する総務省とも直談判したが、戦後レジームや行政や政治家が恐れる朝鮮総連が絡む案件なので、双方とも逃げ腰で話にならないのでNHKを提訴した。 | 日本派政治活動家✩西村齊 (hitoshi-club.sakura.ne.jp)