活動家は昨年引退してますが、それまでのやり掛けの活動が残ってをりその活動のみ継続してましたが、それも終了したので今回が最後の活動報告となります。参政党は保守政党ではありませんでした。自民党と何ら変はらない戦後体制維持を容認する言行不一致政党でした。

京都新聞出版社発行で、京都新聞記者の大竹逸郎が書いた、現京都サンガ監督を題材とした「曺貴裁という生き方」といふ本の一部分に歴史学の一級史料に基づかないフェイクが記述されてゐる。
問題はこのフェイク本を、京都新聞社が京都府、滋賀県の全ての公立学校に寄贈する事から無垢な子供の目にも触れる事になり、歴史教育上、放置出来ない。
よって、この本を学校図書館から撤去する事までは望まないが、せめてこの本のフェイク箇所である8頁記載の「日本は朝鮮人から土地を奪ひ、日本への移住を強制され、創氏改名により日本式の通名を強要された」といふ意味合ひの箇所を黒塗り等の処置を施すべきであるといふ件について参政党京都府八幡市議会議員の岡本みのりに情報提供及び陳情したが梨の礫でした。

その上、本要請を受諾して頂けるか?受諾して頂けないか?といふ最低限の回答さへも拒否した。

因みに陳情書(要請)は下記に示した通り、9月25日に参政党は受け取ってます。

何故、八幡市議会に陳情せずに参政党の八幡市議会議員に陳情したか?その理由は、参政党の公約や理念に、「自虐史観を捨て日本に誇りが持てる教育を!」「私たちは、正しい知識とそれに基づく行動を議会で示す」「私たちは、大衆迎合せず、国民に正しい情報を提供し世論を喚起する」と勇ましい事を掲げてるからです。

それと残念ながら、八幡市議会議員の面々を見ても、下記八幡市議会宛の陳情書にて示した事を実現しようとする様な正しい歴史認識を持った議員が少なく、陳情しても議会で審査される事はないと思慮されるので、今回は岡本みのり議員個人に対して要請し、議会で一般質問といふ手段にて問題を提起して頂くといふ方法を選択した次第です。

しかし、やはり参政党も自民党と同じ戦後体制維持派の言行が一致しない似非保守党でした。

また、この本を京都及び滋賀の全ての公立学校へ寄贈する事に尽力した、京都の老舗企業の「よーじや」にも下記の情報提供及び陳情し、その回答を求めた結果、担当者から回答するとの返信があったが、結局梨の礫でした。

これも以前の体験から推測すれば、京都サンガや京都サンガのスポンサーである任天堂及び京セラに対し下記「今までの経緯2」で示した通り、以前本件に関与する案件で京都サンガや任天堂及び京セラに接触した際に、京都サンガや任天堂及び京セラから「京都新聞社から、本件の対応は京都新聞社が全て窓口となり対応するとの申し入れがあったので京都新聞社に連絡して下さい」との事だったので、西村齊は京都新聞社に連絡したが京都新聞社が対応を拒否した経緯があった。

京都新聞社が対応を拒否した理由は西村齊が京都新聞社に求めてゐる京都新聞社が主張する歴史認識の信憑性を裏付ける歴史学で通用する一級史料を提示出来ないからです。

よって今回の「よーじや」に対する件でも京都新聞社から「よーじや」に西村への対応は無視したら良いとの指示があったと推測できる。

そして、下記に示した通り、京都新聞社は本件の本の最後に「右派グループ(西村齊の事です)からの抗議に毅然と対応をした」と嘘を書いてゐる。

毅然とは、「断固とした姿勢で堂々と逃げずに対応する」事ですから、西村齊に対する逃げ逃げの道理の欠片もない左翼丸出しの京都新聞社の対応は毅然とは言へません。

キチンと対応できないから、本の最後に悔しまみれの哀れな嘘を書き込むとは人として情けないです。

また京都新聞社が西村齊の抗議の件を本の最後に書き込むといふ心理は西村齊の存在が氣になって過剰に意識してゐる証拠です。

しかし、西村齊が京都新聞社に求めてゐる京都新聞社が主張する歴史認識の信憑性を裏付ける歴史学で通用する一級史料を提示出来ないから西村齊への対応から逃げるしかないのです

もうマイナスの氣が移りさうで、もうこれ以上相手にする必要性は皆無です。

全ては非理法権天です。

☯下記が参政党八幡市議会議員岡本みのり宛に提出した陳情書です。

要請書(陳情)

別紙、八幡市議会宛の陳情書の件で、参政党所属の八幡市議会議員である岡本みのり議員に対して要請したく思ひます。

要請に至った経緯は、参政党の政策や理念に「自虐史観を捨て日本に誇りが持てる教育を!正しい知識とそれに基づく行動を議会で示す。」と書かれてゐるからです。

よって、別紙八幡市議会宛の陳情書にて示した通り、今回は正しく参政党の政策や理念にある「自虐史観を捨て日本に誇りが持てる教育を!正しい知識とそれに基づく行動を議会で示す」といふ政策や理念を発揮する案件だと確信してます。

そして残念ながら、八幡市議会議員の面々を見ても、別紙八幡市議会宛の陳情書にて示した事を実現しようとする様な正しい歴史認識を持った議員が少なく、陳情しても議会で審査される事はないと思慮されるので、今回は岡本みのり議員個人に対して要請し、議会で一般質問といふ手段にて問題を提起して頂くといふ方法を選択した次第です。

宜しくお願ひ致します。

尚、本要請を受諾して頂けるか?受諾して頂けないか?の回答を今月末までに下記メール宛に回答下さい。

メール;japanese.wolf@hotmail.co.jp

〒615-0091 京都市右京区山ノ内御堂殿町7-1-110

氏名:やまと新聞社 西村齊

電話;09032704447

☯陳 情 書

八幡市議会議長様

令和7年9月22日

事務所:〒615-0091 
京都市右京区山ノ内御堂殿町7-1-110

氏名:西村齊

陳情要旨 

京都新聞出版社発行で、京都新聞記者の大竹逸郎が書いた、現京都サンガ監督を題材とした「曺貴裁という生き方」といふ本の一部分に歴史学の一級史料に基づかないフェイクが記述されてゐる。
問題はこのフェイク本を、京都新聞社が京都府、滋賀県の全ての公立学校に寄贈する事から無垢な子供の目にも触れる事になり、歴史教育上、放置出来ない。
よって、この本を学校図書館から撤去する事までは望まないが、せめてこの本のフェイク箇所である8頁記載の「日本は朝鮮人から土地を奪ひ、日本への移住を強制され、創氏改名により日本式の通名を強要された」といふ意味合ひの箇所を黒塗り等の処置を施すべきであるといふ思ひから下記陳情致します。

陳情理由 

京都新聞出版社発行で、京都新聞記者の大竹逸郎が書いた、現京都サンガ監督を題材とした「曺貴裁という生き方」といふ本の一部分(8頁)に歴史学の一級史料に基づかないフェイクが記述されてゐたので、本を書いた京都新聞社大竹逸郎記者及び、このフェイク本を京都新聞社が京都府、滋賀県の全ての公立学校に寄贈する事から、日本の未来を担ふ無垢な子供の目にも触れる事になるので、京都市教育委員会に対しても、歴史学の一級史料に基づいた正しい歴史を情報提供し、その見解を伺った。
しかし、本を書いた京都新聞社の大竹逸郎記者及び京都市の全ての公立学校の図書館に、この本を置く事を決定した京都市教育委員会は回答を拒否した。
要は、此方が指摘したフェイクの部分については反論出来る一級史料や反論出来る余地がなく、フェイクを認めざるを得ないから、一級史料の提示及び見解を回答する事を拒否し逃げたのです。
フェイクの出鱈目歴史を日本の未来を担う子供の脳裏に洗脳する事を是とする京都市教育委員会は日本国の教育者として失格で日本の敵であります。

※下記が京都新聞社大竹逸郎記者及び京都市教育委員会に情報提供した史料の要諦です。

①日本が朝鮮人の土地を奪った?→日本国が定めた土地制度により土地を失った朝鮮人は居ない。
史実は真逆で、日本人は朝鮮で土地を開拓した結果、耕作地が増加してます。

ダレ神父が書いた「朝鮮事情」(1874年)の中で朝鮮人の両班の土地強奪の実態を次の様に述べてます。
『両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で朝鮮人農民から田畑や家を買ふときは、殆どの場合、支払ひなしですませてしまふ。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もゐない』

戦後、日本人が朝鮮で行ったとする土地強奪は、この朝鮮人の両班をモデルにしてでっち上げられた作り話のフェイクです。

例として、反日が主張する、日本人が小高い丘に登って辺りを見渡し、土地を指さして手当たり次第良田を奪ったといふ話は、朝鮮の特権階級であった朝鮮人の両班が行った「土地強奪」から連想して日本人に罪を擦り付けたものです。

尚、上記の件の要諦を下記に追記します。

日韓併合後、朝鮮総督府がまずやった事は土地調査事業です。
つまり、土地の所有者・価値・地形・坪数などの調査です。
ところが、韓国ではこの調査は、「調査と称して、朝鮮半島全土の40%以上を日本人のものにした」と教へてゐます。

しかし、元々、朝鮮半島では、高麗(こうらい・コリョ)時代(936~1392年)、既に土地の私有財産制が確立されて、先進的な制度を敷いてゐたのを、李氏朝鮮になって、私田を没収し、公田制を敷いたといふ経緯がある。
だが、一部豪族たちの反対で、世襲を公認せざる得なくなったり、公地が有力豪族・官吏の私有地になったり、その上、文書偽造なども横行した結果、土地制度と租税制度の混乱の極みに達し、国の収税機能が麻痺してゐたのです。

朝鮮では、李氏朝鮮が儒教原理主義を導入したため、日本の奈良・平安時代にまで逆行した事になります。
また李氏朝鮮は李成桂(イ・ソンゲ)がクーデターによって設立した王朝であった為、クーデターを怖れ、それを封じる為に橋等を破壊し、道路の整備など全く行ひませんでした。
日本は参勤交代があるため、東海道などの交通路や宿場町が整備されたのとは対照的です。

更に、朝鮮での、収税機能の麻痺は制度云々といふより官吏(役人)の腐敗によって起こってゐて、農民(全人口の9割)から苛斂誅求(かれんちゅうきゅう:苛酷な取立て)するも、国庫にたどり着くのは10分の1であったと言はれてゐます(途中でどんどん官吏の懐に入る)
そこで、朝鮮総督府は安定した税収を得る為に土地調査を行ったのです。

崔基鎬(韓国人歴史学者)「土地調査事業は朝鮮総督府(日本)が最初に手がけた最も大切な事業の一つである」としてます。

黄文雄(台湾人歴史家)「土地調査事業は韓国の近代化に於いて日本が最も貢献した事業の一つである」としてます。

因みに、この調査事業には日本の税金が2040万円も使はれてゐます。
(参考:1907年の朝鮮の歳入は748万円)

そして調査をしてみると、実際の耕地面積は、これまで算定されてゐたより2倍近いものであった事が判明した。
つまり、大量の隠し田の存在(つまり脱税)が発覚したのです。
隠し田を持ち脱税していた両班(ヤンパン:高級官僚)や有力豪族は、当然に朝鮮総督府(日本)を逆恨みし恨みました。

また、両班が日本を恨む大きな理由は、日本が朝鮮を平等社会にしてしまった事です。
それまで、官僚試験「科挙」を合格して「エリート」となった両班は、一般の民衆に対してはやりたい放題だった。
民衆は両班には顔を上げる事も出来ず、その子供にも気を遣った。
両班の子供は、民衆であれば大人であっても見下す口の利き方をしないと、両班である親に怒られたのです。
両班は気に入らない民衆がゐれば、逮捕して拷問し放題だった。
民衆は両班を怖れてゐた。

しかし日本統治によって、そんな両班が市民平等とされたのだから、その恨みは凄まじいものであったが、実際は日韓併合で平等化された後も、長い間、元・両班が威張り散らしてました。

この様な「平等化」だけでも、9割の一般の朝鮮人にとっては歓迎すべきであったし、日本に感謝すべきではあるが、韓国人は両班の実態を知らないし、見栄っ張りの民族であるが故、大部分の韓国人が「自分の先祖は支配階級の両班だった」と主張してゐるといふお粗末です。

両班の実態を知ってたら、韓国人は誇らしげにそんな嘘の主張をする筈もありません。

当時、李氏朝鮮を訪れた欧米人の言葉を紹介します。

ダレ神父(フランス)「両班は、世界中で最も強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買ふときは、殆どの場合、支払ひなしで済ませてしまふ」

グレゴリー・ヘンダーソン(アメリカ)「両班は、国家と民衆を食ひ物にして私腹を肥やす事しか考へてゐない」

ビショップ夫人(イギリスの旅行家):「両班は、民の膏血を絞り取る吸血鬼だ。彼らは任地に赴かず、ソウルにゐて宴楽を欲しいままにし、自己の管轄内の住民を保護して善導する事が全くなく、虐待して誅求するのだ」

これらの証言からしても、黄文雄氏の「戦後、日本人が朝鮮で行ったする土地強奪は、殆どが両班をモデルにして、でっち上げられた作り話である」の言葉は正論である。

②名前を朝鮮式に強要された?→日本で、朝鮮固有の名字を廃止し日本の名字に変更させる政策が強制的に行はれた事を証明する一級史料はありません。

創氏改名は、主に満州国や支那で、支那人から虐められてた朝鮮人からの強い要望で始まったのが事実です。
日本は、1940年2月11日、朝鮮人の強い要望を認め、創氏改名の受け付けを開始しました。
受付期間は1940年2月11日から同年8月10日までの6か月間です。
結局79%の朝鮮人が届け出たが、21%の朝鮮人は届け出なかった。

朝鮮総督府では三橋警務局長が、朝鮮人に日本名を名乗らせると日本人か朝鮮人か分からなくなるから困るとして大反対し、当時の南次郎朝鮮総督から「創氏改名は強制してはならない。警察も協力しなくてもよい」と3回も訓令を発してますから一級史料では創氏改名の強要の事実は否定されてます。
ただ、地方役人(殆んどが朝鮮人)が仕事をしてゐる様に見せる為に強圧的に推奨した事はありました。

そして、改名は自由意志でした。
実際、朴春琴の様に朝鮮人名のまま帝国議会の議員になった人や洪思翊の様に陸軍中将になった人も居ますから一級史料では創氏改名の強要は否定されてます。

因みに以下が一級資料を基にした「創氏改名」の真実です。

「創氏改名」は、朝鮮総督府が昭和十四年十一月に公布した朝鮮民事令改正と「朝鮮人の氏名に関する件」といふ制令によって、翌十五年二月から実施された。
「創氏」とは文字通り新たに「氏」を設けるといふ事である。
日本人は「氏(名字)」と名によって名前が出来てゐるが、朝鮮人は「姓」と名によって名前が作られてゐる。
我々日本人は日常的に「氏」も「姓」も同じ意味で使ってゐるし、(例へば、「夫婦同姓」は、法律的には「夫婦同氏」である)。

一方の韓国人も金氏といふやうに「姓」に氏をつけて、混同してゐるものだから、さらに混乱してしまふのだが「姓」と「氏」は全く違ふ。
どう違ふのかと言へば、佐藤や田中といった「氏」は一つの家族の呼称であるのに対して、金、朴、李といふ朝鮮人の「姓」は祖先祭祀を中心とした男系の血族集団の呼称である。

「氏」は、結婚や養子縁組によって変化するのに対して、朝鮮の「姓」は変はらない。
朝鮮の伝統的な家族制度では、「姓不可変」(姓は一生変はらない)「同姓不娶」(同族の者同士は結婚できない)「異姓不養」(同族でない者は養子にしない)が鉄則とされるが、ここでいふ「姓」はまさに男系血族としての「姓」である。

更に、この「姓」に金海や安東といった本貫といふ先祖の発祥地名を加へて、同姓のなかでも他の集団と区別する。つまり、朝鮮人の名前の構造は、金海(本貫)+金(姓)+○○(名)となり、金海(本貫)+金(姓)が一族の呼称であり、このうち金(姓)+○○(名)が個人の呼称となるといふ(『創氏改名』所載の金英達「創氏改名の制度」)
つまり、朝鮮には一族の呼称があるだけで家族の呼称はなかった。
そこに朝鮮伝統の「姓」とは違ふものとして、新たに家族の呼称である「氏」を創設したのが「創氏」です。
事実、朝鮮総督府は、「姓」はなくなるのか、変更されるのかといふ質問に対して、「『姓』が消滅するとか、『改姓』になるといふのは、とんでもない誤解だ。従来、家に称号がなかったから、今度新たにその称号を付けるといふ事になっただけで、姓には何の影響もない」(『総力戦』昭和十四年十二月号)と説明してゐる。また、実際の戸籍簿も、固有の「姓」は新たに作られた「姓及び本貫」欄へ移記されてゐる(この戸籍簿が、「氏」を廃止した戦後も使用されてゐる事からも、創氏が「姓」を変へるものでない事は明らかである)

◯「姓を奪った」は事実の歪曲

この様に、「創氏改名」とは、朝鮮には従来なかった「氏」を制度として創設するものであった。従って、「氏」の設定は法令上の義務であった。
昭和十五年二月から六カ月の期間を定めて、「氏設定届」を出させ、この届け出をしないものは「姓」をそのまま「氏」とした(法定創氏といふ)
「従来の金や李をそのまま氏としたいものは届出をしないで放って置けばよい」(総督府法務局『氏制度の解説』昭和十五年二月)といふものであった。

「改名」の方はどうかといふと、これはまったく義務でもなく(奨励はされたが)完全な申請制であり、裁判所に申請して許可を受けなければならなかったし、「氏設定届」が無料であったのに対して、「名変更許可申請」には一人五十銭の印紙代(途中から一戸五十銭に変更)が必要だった。

つまり、法制度から言へば、「氏」を新たに創設する事は義務であったが、それは「改姓」でもなく「廃姓」でもなく、「姓」はそのまま存続した。また、「改名」は完全に自由であった。
実際、自ら「氏設定届」を出したものは全戸数の約八割で、残り二割は届を出さず、姓がそのまま「氏」となった。因みに「名変更」の許可件数は約百八十八万人で、当時の人口を約二千五百万と考へれば一割にも満たない。

その意味で、韓国民団らが言ふ「韓国人の姓を日本式の『氏』に強制的に改めさせた」とか、朝日新聞が書く「朝鮮姓を廃して日本式の姓に改めさせた」といふ批判は、事実を歪曲したフェイクな批判である事は明白である。

以上

※添付資料

①    京都新聞社が京都府、滋賀県の全ての公立学校に本件図書を寄贈する事を紹介した記事。
②    京都新聞出版社発行で、京都新聞記者の大竹逸郎が書いた、現京都サンガ監督を題材とした「曺貴裁という生き方」といふ本の一部分(8頁)に歴史学の一級史料に基づかないフェイクが記述されてゐる箇所のコピー。

☯今までの経緯1

京都新聞社発行の京都サンガ監督を題材とした本の一部分に歴史学の一級史料に基づかないフェイクが記述されてたので、京都新聞社及び、その本を学校図書館に置く事を決めた教育委員会に対し知人が見解を伺った。 | 日本派政治活動家✩西村齊

☯今までの経緯2

京都サンガ監督の父親が「日本は朝鮮から土地を奪ひ、日本への移住を強制され、創氏改名により日本式の通名を強要された」と主張した京都新聞記事について僕が一次史料の提示を求めてた件で連絡は来たが史料提示は拒否した。要は父親の主張を裏付ける一次史料はないとの事です | 日本派政治活動家✩西村齊